思い出のスフィンクスを訪ねて

アプリ版のGoogleマップで過去のストリートビューが見れるようになったらしい。

その情報をキャッチしたわたしがアプリを開き真っ先に降り立った場所は、とあるアミューズメントパークの前であった。

 

気付けば4年近く地元・沖縄には帰っていないので、故郷に想いを馳せようと試みたとき、掘り起こされるのは大体小学〜高校までの記憶だ。幼い頃よく行った駄菓子屋、玩具屋、スーパー、そしてゲーセン。足繁く訪れた遊び場は、2022年8月現在、軒並み跡形もなく潰れてしまった。せめてわたしの記憶の中だけでもあの頃のまま、、そう願っても思い出の中の街並みは今やもう色褪せ、ピンボケしたスナップ写真のようだ。

しかしその薄れゆく記憶の中で、未だ鮮明にその姿が目に焼き付いてるものがある。

スフィンクス」である。

そのスフィンクスはエジプト・カイロではなく、たしかに沖縄の片隅に存在していた。

かつてわたしの地元には「和合ファミリーランド」というアミューズメントパークがあった。一般的にアミューズメントパーク、と聞いて真っ先に思い浮かぶのはかの有名な「ラウンドワン」であろう。
しかしわたしにとってアミューズメントパークとは「和合ファミリーランド」なのだ。

その「和合ファミリーランド」の入り口に、前述のスフィンクス像がそびえたっていたのである。

今思えば奇妙すぎるその外観も、幼いわたしにとってはどうでもよく、それよりも和合の楽しさたるや。小学5、6年生のころは、週末になると家族でそろって訪れ、一日中遊び回ったものだ。ゲーセン、カラオケ、ビリヤード、バッティングセンター、屋上にはトランポリン。しかしお世辞にも設備は最新のものとは言い難く、ゲーセンはストリートファイター2や旗揚げゲームなどしかなく、2008年ごろとは思えないラインナップであった。それでも一日中遊び回った。

そんな楽園にもやがて終焉が訪れる。中学にあがり、自然と和合には行かなくなった。家族と出かけることがはずかしくなったのか、それともバスに乗って少し遠出すればもっと楽しい遊び場がいくらでもあることを知ってしまったからか。ラウンドワンの方がボーリングとか色々あるし綺麗だし楽しいし。そう思っていたのかもしれない。とにかく和合には行かなくなり、その存在も心の中で薄れていき、気づいたときには閉店していた。謎のスフィンクスだけを残して。そして大学生になり、暫くぶりの帰省でかつて和合があった辺りの国道周辺を歩いたとき、もうそこにはスフィンクスすら存在しなかった。

だからわたしは、Googleマップで過去のストリートビューが見れると知ったとき、あのスフィンクスにもう一度会いたい、と思った。

アプリを起動させ、ストリートビューの画面で「2010年」という日付をタップする。朧げな記憶をたどり国道沿いを歩く。確かこの辺だったはず、、。

 

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あった。

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いた。

 

顔認識されてモザイクがかかってしまっているが、たしかにあのスフィンクスだ。懐かしい。

記憶の中のそれより一回り小さいが、堂々たる佇まいである。

つづけて、「2017年」をタップする。おそらく閉店した後である。

 

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やはり顔には謎のプライバシー配慮がなされているが、閉店してもなおスフィンクスだけはたしかに存在していたらしい。わたしの記憶に相違はなかった。壁の落書きとボロボロになった看板がどこかもの寂しい。きっとスフィンクスはたびたびふざけたヤンキーに跨られたりしたんだろう、以前みられた荘厳さはだいぶ薄れている。モザイクをはずせば「なぜ俺はここにいるんだ?」という苦悩に満ちた表情だったかもしれない。

そして2022年現在。

 

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思い出の地は駐車場になっていた。

建物や入り口のスフィンクスは跡形もなく消え、楽しそうにはしゃぐ子供たちやヤンキーの声が聞こえてくることはなくなってしまった。よくある話だ、思い出の地はしばしば駐車場になったりコンビニになったりする。

よくある話だーーーいくらそう自分に言い聞かせても、ストリートビューに写し出された「15分105円で遊び放題!」の看板と、「6:00〜24:00 60分200円」の看板とを見比べて、わたしはあのスフィンクスがどこかで今も生きていてほしいと、そう願わずにはいられなかった。