Space Cadet

「インターネットの思い出」は人によって様々だろう。世代によっても全く違うはずだ。1998年生まれのわたしにとってはそれがおもしろフラッシュ倉庫であり、Yahoo!きっずであり、当時群雄割拠のブラウザゲームであったりする。

小学校2年生くらいまでは実家の居間にwindows XPが鎮座していた。しかし母曰くウイルスにかかっていてインターネットに繋げないとのことで、わたしにとっては専らゲーム専用機であった。妙にスペーシーなピンボールマインスイーパを延々とプレイしていた気がする。

小学校3年生のころにwindows vistaが我が家にやってきた。今思えばきっとそこから人生が狂い出したに違いない。テレビか漫画しかなかった我が家の娯楽にインターネットが仲間入りした瞬間。外で身体を動かして遊ぶのが大好きだった活発少女は、お金がなくて買えないゲームソフトのHPを片っぱしから閲覧して、ストーリーを妄想しゲームをプレイした気になるオタク少女になっていった。

小学校4年生のころにクラスメイトのヤンキー少女から「2ちゃんねるって知ってる?」と聞かれ、何も知らないわたしは彼女に説明を求めると、とにかくやばいサイトであるとのこと。どうやばいのか見当もつかなかったが、名前の響きからしてテレビに関するサイトであるというわたしの予想はすぐに裏切られた。時を同じくしてクラスメイトのオタク男子から「ようつべって知ってる?」と聞かれ、やはり何も知らないわたしは彼に説明を求めると、とにかくやばいサイトであるとのこと。ドキドキしながら検索窓にひらがなを入力すると、検索結果に表示されたサイト名は英語で非常に面食らった。当時沖縄では数週間遅れもしくは放映されていないアニメも多く、無法地帯であったYouTubeは我々にとってキッズステーション顔負けのアニメチャンネルであった。

ヤンキーもオタクもそうでない子も、小学校のパソコンの授業では全員で一致団結し情報交換にいそしんだ。そういう授業では大抵フリータイム的に生徒が自由にパソコンを使って良い時間が設けられていたので、思い思いのネットサーフィンをクラスメイトに披露する時間でもあった。わたしは「マテリアルスナイパー」という謎に完成度の高すぎるFlashゲームを颯爽とプレイしてみせ、級友たちの度肝を抜いた。友人のひとりは「ダンシングおにぎり」という音楽ゲームを教えてくれた。ある者は恐怖の館でクラスメイトをウォーリーの罠に嵌め、ある者はおもしろフラッシュ倉庫で椅子から落ちるほど笑い転げていた。先生がパソコンにかけたセキュリティでブロックされるサイトも多々あったがその基準は謎で、「ぱんぞう屋」はブロックされるのに、「スーパー正男」というスーパーマリオブラザーズのパクリブラウザゲームはプレイできた。

そんなこんなで、小学生らしい無邪気さでもってインターネットライフを満喫していた、、、のであったが。

ある日事件は起こった。

小学校5年生のころ、いつもと変わらぬ日々に鬱屈した気持ちを抱えるなんてこともなく、明日は何して遊ぼうだとか、次給食がカレーの日はいつだろうとかで、頭も心も満たされていたころ。いつもの平日、夕飯を食べ終え居間にあるvistaを起動させたわたしは、今日はどのようにこの眼前の箱でインターネットをサーフするか頭を悩ませていた。

YouTubeブラウザゲームもなんだか今日は気分じゃない。いつもならお気に入りのサイトにすぐさま飛んでいたところを、なんとなく、履歴のページをクリックし飛んでみた。もちろん家族共用のパソコンである。当時の純真無垢なわたしにはそれがパンドラの箱であることは知るよしもなかった。検索履歴のページをスクロールしていくと、お気に入りサイトのURLに紛れて、ある見覚えのない検索ワードを見つけた。

「貧乳 女子高生」

「貧乳 制服」

せめて「巨乳」であってほしかった。「貧乳」という検索ワードに凝り固まった性癖を感じ嫌悪感を覚えた。家庭内に「性癖」という概念が突然入り込んできた感覚は今も忘れられない。しかもそいつは居間にパソコンの姿を借りて堂々と居座っていたのだ。

かくしてわたしの純粋無垢な心は家庭内の何者かの手によって汚されたのであった。

インターネットの思い出。何者かっていうかたぶん犯人は兄。