ドラゴンボールの2巻

賢明な読者諸君であれば誰しもが一度は、「ドラゴンボールにおけるフェイバリット巻はどれか?」という質問に頭を悩ませたことがあるだろう。

しかし残念ながらその質問はわたしにとっては愚問である。わたしがその質問を第三者から受けたなら、きっとコンマ1秒もかからずに「2巻!」と答えられる。

なぜなら実家にはドラゴンボールの2巻しかなかったからである。

 

わたしが小学2年生のころ、実家の本棚に唯一あった漫画がドラゴンボールの2巻であった。漫画がそれしかなかったのは親の教育方針とかではもちろんなく、小説や雑誌などの本もそこには存在しなかった。すなわちあれは本棚ではなくただの棚であったはずだが、兄がブックオフで購入したドラゴンボールの2巻が、棚を本棚へと変えてくれた。

そんなこんなで今でも文化的資本とよばれるものが何を指すのかすらよくわからないほどに、文化的生活とは無縁な幼少期であった。

そういえば家にはCDだって1枚もなかったが、TSUTAYAで借りた7泊8日のケツメイシを焼いたCD-Rはあった。母がカーステレオでよく流してくれて、5枚1000円のレンタルでしばしば音楽には触れられた。

わたしが他人の家の駐車場でBB弾を集めていたころ、きっと同級生たちはピアノや習字を習ったりしていたんだろう。彼ら/彼女らのほとんどはその習い事をいつからかやめてしまったが、わたしは今でも駐車場に行くとちょっとだけワクワクするし、地面に落ちているものは誰よりも早く見つけられる。

 

話が逸れてしまった。

ドラゴンボールの話だ。

とにもかくにもわたしのフェイバリットは2巻なのである。冗談じゃなく50回以上は読んだと思う。2巻だけを繰り返し繰り返し何度も何度も。もちろん1巻を読んだことがなかったので、そもそも悟空がなぜドラゴンボールを集めているのかもよくわからなかった。しかし巻頭のあらすじを頼りになんとなく読み始め、何度も読み返すうちに大好きになった。きっと兎人参化のことなんて皆忘れてしまっているだろうけど、わたしはずっと覚えている。夜空の月を眺めるたびに思い浮かぶのは、月で餅をつく兎人参化のことだけだ。

それからしばらくして、兄が友人から借りてきたドラゴンボール全巻がわたしの眼前に姿を表した。ついにあの2巻の続きが読めるという喜びに打ち震えたが、同時に恐ろしくもあった。2巻を読み込みすぎて、それを超えるおもしろさを3巻以降に見出せるのだろうか、と。結局それはただの杞憂であったが、段々と加熱していく悟空たちの闘いを前に、2巻の思い出がやがて薄れていくのを感じてなぜだか少し悲しくなった。

それからというもの、わたしはドラゴンボールの2巻によって歪められた価値観で漫画と向き合っていくこととなる。当時実家にあったノートパソコンでインターネットにアクセスし、集英社の試し読みサイトで片っ端から漫画を読み漁る。そして気に入った漫画の気に入った巻だけを購入する。地道にお金を貯めれば全巻揃えられるような巻数でも、なぜか集める気になれない。フェイバリットの巻だけをひたすら読み返す行為でしか漫画を愛せなくなってしまっていた。

しかしそんな偏愛にもやがて終止符が打たれることとなる。

小学5年生のころ、担任教諭が無類の少年漫画好きであった。先生は教室の入り口近くのスペースに本棚を構え、そこに漫画ブースを作った。漫画から学べることはたくさんあるというその40代男性教諭の信条のもと、サバイバル、拳児六三四の剣、柔道部物語、がんばれ元気、スプリンターなどが並んだ。今思えば平成20年ごろとは思えないラインナップだが、学校でしかも教室で漫画が読める!とわたしたちは狂喜乱舞した。それまでドッジボールしか選択肢がなかった休み時間に、合法的な漫画の登場はまさしく革命であった。

そしてもちろん教室に並ぶ漫画は2巻だけではない。きっちり全巻揃えられた漫画たちは、読む順番待ちが起こるほど大人気で、わたしも例に漏れず休み時間ごとに読みふけった。

かくして1巻から普通に読み進めていく漫画本来の楽しみ方を知ったわたし。

山口先生その節は本当にありがとうございました。あのとき拳児を読んでいなかったら、きっとわたしは歪んだ大人になっていたことでしょう。そういえば拳児2が2020年に連載開始されたことをご存知でしょうか?しかし残念ながら、8話でしばらく更新が止まっているようです。念のためリンク貼っておきますね。ではまた。

1. 第1話 / 拳児2 - 松田隆智/藤原芳秀/佐藤敏章 | サンデーうぇぶり