タイム・マジック!

18年間住んだ沖縄の街に最近よく想いを馳せる。数ヶ月前に全国ニュースでも取り上げられた沖縄警察署襲撃事件は記憶に新しいが、その事件現場がまさに、わたしが18年間暮らした街・沖縄市だ。

あのとき件のニュースを見てすぐ母に電話をかけた。沖縄署で暴動があったらしいねと。母はそうそうと相槌を打ちつつ「そういえば昨日の夜も後ろのアパートで集会があったみたいよ〜」と呆れたように言った。わたしの実家アパートの斜め後ろに隣接したそこは、今も変わらず沖縄ヤンキーたちが生息しているらしい。

思えば昔からそうだった。隣同士のアパートで自然と交流が生まれ、年上年下問わず気づけば仲良く遊ぶようになっていた幼き頃の友人たち。わたしは段々と家にひきこもるようになり彼らはめきめきとヤンキーになっていったことで、学年が違う彼らとは段々疎遠になっていった。わたしが中学に上がった頃には、深夜0時を過ぎても辺りに響きわたる彼らの騒ぎ声に、うちの母はよく文句をこぼした。窓を開けて彼らを怒鳴りつける母を横目に寝たふりをした。目を閉じながらなぜ彼らの家族は彼らを放っとくのかなどと一瞬考えたが、その親たちの顔を思い浮かべると微妙な気持ちになって、全然寝れなくなった。

今ではもう名前も顔もさっぱり思い出せない彼らは元気だろうか。仲間とバイクを飛ばし警察署に集まったりしたんだろうか。確かめる術はない。

 

18年間住んだ街に想いを馳せるとき、沖縄ヤンキーのことを想わずにいられない。小・中・高と公立校に通ったのでオタク女子だったわたしもヤンキーとはそれなりに密接に関わった。小学校時代の友人たちの多くは中学に上がってヤンキーになっていった。大体があまり裕福じゃない子か兄弟が多い子だった。

お世辞にも治安が良く品も良いとは言えない街でわたしたちは育った。決して悪すぎはしなかったと思うが、自分と似たような境遇の子が多かったのはわたしにとってささやかな救いだった。

小学校時代、唯一にして最大の社交場である「第二公園」は小学校から歩いて10分かそこらの場所にあった。連日たくさんの子供たちで溢れ賑わっていた。わたしも例に漏れず毎日遊びに行ったものだが、公園の端っこにあるバスケコートはヤンキーたちのシマだったので決して立ち入らなかった。遊び疲れたら公衆トイレの屋根に登り、ヤンキーたちのバスケを眺めた。バスケ部の兄が第二公園のバスケコートでヤンキーに絡まれたと嘆いていたことを思い出し、こうして眺めてるくらいが丁度いいなと思った。

幼稚園〜小学校1、2年生の頃は毎日のように兄の遊びについて回った。5歳年上の兄は心底鬱陶しそうにしていたが、兄の友人たちは優しく、わたしをかわいがってくれた。皆ゲーセン等の遊び場に行けるお金を持ってるワケもなく、兄の友人が暮らすアパートの駐車場で揃ってデュエルモンスターズ(遊戯王)に興じていた。そこに大抵夕方くらいになると中学生ヤンキーたちがやってきて、遊戯王キラカードを兄たち小学生男子に売り捌くのであった。カード1枚50円か100円そこらであったと思うが、兄はわたしに「買ったこと、お母さんには絶対言うなよ」と念を押してキラカードに目を輝かせていた。兄がヤンキーたちから地道に買い集めた封印されしエグゾディアが5枚揃ったとき、妙な感動を覚えたが、この中学生のお兄さんたちはどこからこのカードを仕入れてるのだろうと不思議で仕方がなかった。今思えばおそらく正規ルートである可能性は低い。時の魔術師のタイム・マジックが成功する可能性よりずっと低い。

自宅以外に停めた兄のキックボードは百発百中で盗まれたし、小学校に玩具やゲーム機の類を持ってきてはいけない理由が先生曰く「盗まれるから」であった。毎日のように誰かのPSPが無くなった。近所のTSU○○YAから万引きした文房具を教室で売り捌くヤンキーたちがいた。近所の駄菓子屋の商品は大体が賞味期限切れだったので誰も万引きしなかった。

つまりそういう街だった。

ある日、自宅アパートの駐車場に停めていた自家用車の窓ガラスが何者かの犯行により割られていた(現場に残った弾痕から凶器はエアガンと判明、しかし迷宮入り)。ある日学校から家に帰ると、自宅アパートの玄関ドアが何者かの犯行により傷だらけになっていた(同じく迷宮入り)。友人宅に遊びに行く道すがら、友人の兄が道路の真ん中で自転車にライターで火をつけている場面に遭遇した(動機不明)。高校生になった兄の友人が、わたしの通う小学校に不法侵入して警察沙汰になった(同じく動機不明)。

つまりそういう街だったんだ。

夏休みは毎日やることがないので友人たちとBB弾を集める旅に出かけた。人んちの駐車場の隅が穴場だった。白よりも黄色や黒の方がレア感があってテンションが上がった。誰もエアガンは所有していなかったので何の意味も無かったが、とにかく他にやることも行くあてもなかった。意味もなくBB弾を集めるよりはヤンキーになる方が健全な気がしたが、ヤンキーとそうでない子の曖昧だった境界線が段々とハッキリしていく内に、BB弾には興味がなくなった。

つまりそういう街でわたしは育った。

そこには何もなかったがすべてがあった。皆今ごろ何してるんだろうな。久しぶりにBB弾でも探しに行こうか。暑い日差しに疲れたらひとんちのマンションのエレベーターホールで勝手に涼んで、休憩してさ。