釣り好きの人には悪い人はいない①

先週の日曜、わたしは25年の人生で初めて結婚式という一大イベントに出席する機会を得た。2018年から共にバンドを続けてきたメンバー2人の結婚式・披露宴に招待されたためである。式前日、前任ベーシストの仲村も沖縄からはるばる熊本にやってきた。彼女も今回の式に招待され、出席するために数年ぶりに熊本に帰ってきたのだ。数週間前に仲村へLINEで連絡してみると、わたしの自宅に式前日・当日と2泊して、式翌日に沖縄へ帰るというスケジュールで動きたいとのこと。二つ返事で快諾したわたしは、彼女の宿泊に備え数日前から自宅の掃除・来客用の寝具の用意・数年ぶりに熊本へ帰ってくる旧友と行きたいご飯屋さんのリストアップ・朝まで2人で遊ぶswitchゲームソフトのリストアップなど、できる限りの準備を進めたのであった。

そして式前日。19時ごろに熊本に着くという仲村の報せを受けてわたしは、19時過ぎに三年坂TSUTAYAにてスタンバイ。今どこいる?と聞かれTSUTAYAのカルディあたり、とLINEで答えたその数分後、わたしたちは数年ぶりに熊本での再会を果たした。しかし、そんな感動の瞬間も束の間、彼女の口からは驚くべき言葉が発せられたのであった。「今日私病み上がりで体調悪いから」。思わず我が耳を疑ったが、確かに目の前の女性はいささか顔色も悪くテンションも限りなく低かった。これまでもテンションが高いところは基本的に見たことはなかったが、それにしても明らかに平時より元気がない様子だった。わたしはこの日仲村とナバロへ一緒に遊びに行きたいという1番の目的があったが、それは断念しなければならない状況だというのは明白だった。しかし諦めきれずに「清田さんに久しぶりに会いたくない?」と聞くと(この日のナバロはDoit scienceとデュビア80000ccのライブがあった)、「どうせ私のことなんか覚えてないでしょ」と言われた。いや超覚えてるよ!と答えると「どうせお前が未だに私の変な話を色んな人にしてるんだろ」というニュアンスのことを言われ、うまく否定できなかった。

とにかく話をまとめると、仲村は清田さんには特に会えなくても構わない、ナバロにも別に行きたくはない、できることなら今すぐ寝たいということだった。そうだった、こいつはこういう人間だったーーーー体調に関しては仕方のないことであるが、彼女がとんでもなく薄情でドライな人間であるということをわたしは段々と思い出し始めていた。

ご飯はサクッとなら食べてもいいと言われたので、何が食べたいかリクエストを聞くと、温かいものがいいとのこと。こいつは普段沖縄で何を食って生きてるんだ?と思いつつも、我々は上通りのおでん屋さんに向かった。しかし土曜ということもあって予約無しではどのお店も混んでいて入れなかった。何軒かふられ、行き場を失い歩き続けるとナバロの前まで辿り着いた。ここまで来ればさすがの仲村も「ちょっとナバロ覗いてく?」と言い出すのではないかと期待したが、彼女の口は閉じられたままだった。その道中偶然ナバロオーナーのだいすけさんに遭遇したので、仲村を紹介した。だいすけさんは仲村のことを覚えてくれていて、「今日ナバロこないの?」「白川夜市行けば?」と話しかけてくれたが、仲村が口を開くことはなかった。わたしがこの子体調悪いんですよ〜今日はすみません帰ります!とだいすけさんに別れを告げ、再び歩き出すときも、仲村はどこか他人事のような顔をしていた。

再度話し合いの時間を設けた結果、車で大学近くのウエストといううどん屋さんに行くことが決まった。小一時間かけて往復と食事を済ませ、21時くらいには自宅にたどり着いた。道中や食事中に、仲村がいなくなってからのナバロのことや、最近のMPBのこと、わたしの仕事の話などに花を咲かせたが、今思えばわたしが9割喋っていた気がする。

自宅に着くやいなや、仲村はすぐに寝る支度を始めた。一応「一緒にswitchしたかったなあ」と伝えてみたが愛想笑いで誤魔化された。諦めたわたしは給湯器のスイッチを入れ、仲村にお風呂をすすめた。すると仲村はそういえば、とお土産の袋をいくつかスーツケースから出し始めた。沖縄そばやソーキ、タコライスの素など、たくさんの沖縄土産でテーブルが溢れかえった。正直この時点までは若干「こいつ今日何しにきたんだ?」という思いを禁じ得なかったが、嬉しいお土産を前にするとすべてを赦せる気がした。

そしてお風呂上がりの仲村とリビングでしばし談笑。最近ネットの友人と仲良くしてるの?と聞くと、仲良いよーという返事。仲村は数年前からネット上で趣味を通して友人ができ、よく通話でゲームをしたりして遊んでいるらしかった。よくよく聞くと、去年その友人ら5人グループで東京に5泊6日で旅行に出かけたとのこと。そこまで仲が良いとは思っていなかったので、東京で何をしたのか聞くと、「ディズニーに行った」という返事が返ってきて、わたしは愕然とした。わたしは仲村とは大学1年のころからの付き合いだが、一緒に旅行というものに行ったことは一度もない。仲村と5泊一緒に過ごすなんて絶対に無理だ、耐えられる気がしない。ディズニーで一緒に遊ぶ光景なんて想像もつかないし、行ってもたぶんそれほど盛り上がらないだろう。仲は良いがそういう間柄ではない。バンド練のあとにふたりで近くのガストに行って5時間くらいくだらない話でだべる、そういう遊び方しかわたしたちは知らない。しかし、そのインターネット友達たちとはディズニーにも行けるし、5泊6日の旅行にだって行けるのだ。わたしはそれが少しショックだった。小学生のころから仲の良かった友達が、中学にあがって、塾に通い出して、塾の友達とのプリクラを緑の下敷きの裏に貼るようになった。わたしはプリクラが苦手だった。あのころの感情を思い出して、気付けば「わたしとは旅行なんて行ったことないじゃん?!」と重い女のような言葉を口走ってしまっていた。しかし仲村はただ笑って、「だって私たち趣味合わないじゃん」と言った。

 

釣り好きの人には悪い人はいない②へ続く

 

おかわりもいいぞ!

先日、仕事終わりの帰宅途中に急なお誘いをもらい、デュビア辻くん宅へお邪魔した。辻くん特製のキーマカレーが参加者全員に振る舞われるという会で、わたし以外にも、カゴリムそうへいくん/白魯いぶきちゃん/謎の新入生こころちゃん/というそうそうたるメンバーが辻邸に終結していた。集まった時間は21時ごろで、我々には0時スタートのライブをナバロに観に行くという目的があった。それまでだらだらとYouTubeを垂れ流しながら、雑談に花を咲かせつつ、キーマカレーの完成を待った。わたしは当初この会を「皆でカレーを作ってワイワイ盛り上がる会」だと思っていたが、辻家のワンルームに備え付けられたキッチンは手狭だったため参加者は余り手伝う意欲に駆られず、ついに彼1人の手でキーマカレーが出来上がった。しかしその時点で時刻は23時過ぎ。ライブ開始時刻に間に合わせるため一同は慌ててカレーをかきこんだ。美味しかったが急いで食べたのであまり味わう余裕がなかった。しかし食べ残しひとつない紙皿の数々がこの会の成功を端的に表していた。

そして食後の余韻に浸る間も無く、ライブのスタート時間が迫っていたため急いで車に乗り込み一同出発。いぶきちゃんはある人物とナバロに向かう必要があるとのことでしばしのお別れ。彼女を除く4人はわたしの運転でナバロに向かい約10分後無事到着、なんとかスタート時間に間に合うことができた。わたしたち以外にもたくさんのオーディエンスで溢れたフロアは、これから始まろうとしているライブとその先にある別離に、妙に浮き足立っていた。何を隠そうこの日は、なかけんという男をみんなで見送るための夜だったのだ。

なかけんはわたしにとってナバロ周りでできたはじめての友人で、出会いは大学4年生の頃。当時わたしが所属していた軽音サークルの定期演奏会をなかけんが見に来ていて、そこで少しだけ話した記憶がある。以前からサークルの先輩のバンドがSisleyと対バンした話を聞いたりしていたので、なんとなく存在は認識していたけど、ちゃんと会話したのはそれが最初だった。そしてなかけんは終演後、定期演奏会のアンケート用紙に「誰か友達になってください!熊大ロック研究会のなかけんです!」というメッセージと共にTwitterのIDを書き残していた。それからしばらく経って、なかけんがMy Lucky Dayの初ライブを見にきてくれて、その場で自主企画に誘ってくれたおかげで、ナバロでの色んな出会いが増えていったと思う。

そんなことを思い出しながらライブを見ていたら、急に頬を涙が伝った感覚がしたので焦った。慌ててあのとき誘ってもらった「モンスターファーム」という企画の打ち上げの際、後にyard ratとなるメンバーたちが、DAYSのテーブルを囲みながらひとつのジッポを共有して煙草を吸っていた姿を思い出した。そうすると急速に涙は収まっていった。

やがてライブが終わり、大団円。そっとお手洗いの鏡で目の赤みをチェックし、まず誰にもバレないと判断しフロアに戻ったが、セリグマンの猫しいなちゃんにすぐ「もしかして泣きました?」と言われた。なんて鋭いんだと思った。

気を取り直しフロアを見渡すと、ライブが始まる前の浮き足立った空気はもうなくなっていた。きっとなかけんとはすぐまたライブで会える。そこにはしみったれた雰囲気は微塵もなくて、皆なかけんとただただ話したがっていた。わたしも少し話せた。そんな夜だった。

そんなこんなでカレーを食べてライブを見て、非常に楽しい時間を過ごせたのだが、惜しむらくは、カレー会を主催した辻くんが謎の新入生こころちゃんをナバロに放置・置き去りにした点である。聞くと彼女は辻くんの誘いでカレー会〜ナバロまで来たとのことだったが、自転車を辻邸に置いたままだったため、帰る術とタイミングを完全に失ってしまっていた。その時すでに深夜2時頃。わたしの運転で辻邸まで彼女を送り届け、そこから自転車で帰宅してもらうことにしたが、辻くんにその旨を伝えると、「自分は友人の車で帰ります」とのこと。残念ながら「自分が誘ったんで、こころちゃんと一緒に帰りますよ」という言葉が彼の口から出てくることはなかった。わたしはそうへいくんを誘いこころちゃんを辻邸に無事送り届けた。その後ナバロに戻ったが、辻くんはもうそこにはいなかった。そんな夜だった。

永遠プレッシャー

ほっかほっか弁当にて、レジカウンターでメニュー表を眺め注文するとき、わたしはいつも緊張で手に変な汗をかいてしまう。店員からのプレッシャーが尋常ではないからだ。

こちらとしてはまだ数分かけてじっくりと選びたいところが、カウンター越しにすぐスタンバイする店員。そのプレッシャーに負けて結局いつもと何ら代わり映えのないメニューを選択してしまうわたし。Choose lifeとはこのことかと思いながら代金を支払い、弁当を受け取る。

某月某日もそんなふうにいつもと変わらぬ調子で、結局お決まりの「とりマヨそぼろ弁当」を選択しようとした。しかし、数秒経って異変に気づく。メニュー表のどこにも見当たらないのだ、その9文字が。そんな動揺もよそに店員からは選択を迫る無言の圧力。早く決めなければ。「とりマヨそぼろ弁当、、、ってありますよね?」恐る恐る尋ねる。しかし店員から返ってきた答えは、「すみません、そのお弁当もう終わっちゃったんですよ〜」だった。

驚愕。いつ、なぜとりマヨそぼろ弁当がなくなってしまったのか、質問したいことは山ほどあったが、耐え難いプレッシャーに怯んだわたしは「しゃ、、鮭弁当で!」と、未知の選択に及んだ。

代金を支払い、ややあって弁当を受け取る。自宅に戻り、居間で鮭の身をほぐしながらわたしは、今はもうこの世に存在しないとりマヨそぼろ弁当に想いを馳せた。

最後に食べたのはいつだったか、、、数週間前だった気がする、しかしはっきりとは思い出せない。ちゃんと味わって食べたっけ?普通に美味しく、いつも通り残さずいただいたのだろう。けれどまさかこれが最後になるなんて思ってもいなかったはずだ。とりマヨそぼろ弁当との最後の邂逅はわたしの記憶からすっぽりと抜け落ちていて、それがただただ悲しかった。

人生における別離の中で、わたしはあと何度お別れの言葉を言いそびれるんだろう。きちんとお別れできる最後なんて、きっとほとんどないに違いない。最後の時はいつも静かで、およそドラマなんてものは起こらないまま終わっていく。そうやって気づかないまま過ぎていくなら、せめて今だけはと、少しぱさついた鮭の身をていねいに、ていねいにほぐした。

In between days ①

昨年はさまざまな巡り合わせによりバンドが2つ増え、元々組んでいたものに加えわたしは現在計3つのバンドに籍を置いている。先週末はそのうち2つのバンドでライブを行う機会があった。土曜日は大分、日曜日は熊本という県外移動を含んだスケジュールで、別々のバンドのライブを2日つづけて行うのは初めての経験だった。そして土曜日の大分は友人のバンドと連れ立っての遠征であったため、これもまたわたしにとって初めての経験で、非常に思い出深い2日間となった。そんな記憶をせっかくなので記録したく思い、今回筆をとった次第である。

 

1日目大分へ向かうため10時半に起床。11時過ぎ頃車Aに迎えに来てもらい11時半熊大横コンビニにて車B他メンバーと合流、全員揃ったところでくじ引きをして車割りを改めて決める流れに。HideawayGt/Voがくじ引きを作成してくれていたが、段取りが非常に悪くたった7人でくじを引くのに10分くらい時間を要していた。厳正なるくじ引きの結果車Aに5人、車Bに4人で分かれ出発。わたしは車Aに割り振られ、大分までデュビアGtの運転で向かった(今回ライブに帯同したのはセリグマンの猫/Hideawayの2組だったが、レンタカー1台では移動できないためデュビア80000ccのGtが自家用車での運転を引き受けてくれた。ついでにデュビア80000ccのGt/Voもついてきた)。車内では終始会話が盛り上がり、楽しい移動時間となった。その中でも特にセリグマンの猫Gtのエピソードトークに耳を傾ける時間が多かった。HideawayGt/Voは気難しい人間として有名だがそんな彼も楽しげに会話に参加するくらい、セリグマンの猫Gtが話すエピソードは興味深く面白いものばかりだった。

休憩を一切はさまずノンストップで向かったため、15時前には大分市内に到着。リハや練習まで少々時間があったため街ぶら・食事をして楽しむことに。しかし車から荷物を降ろした後わたしとデュビアGt以外の3人が目的地とは逆方向に歩き出したので面食らった。そしてしばらく3人ともが間違いに気づかず歩きつづけていた。この旅の行く先に一抹の不安を覚えつつ、無事ライブハウスの近くにあるうどん屋に5人で入店。それぞれ思い思いにうどんやそばのメニューを頼む中HideawayGt/Voだけはカツ丼をチョイスしていた。別に何を選んでも自由だがカツ丼か〜と思った。わたしは天ぷらそばに舌鼓を打ちつつ5人での会話に花を咲かせた。昼食が済みまだ時間に余裕がありそうだったため、近くの公園内を散歩でもしようかという話になった。そこでベンチに座っている若いカップルがジェラートのようなものを食しているのをセリグマンの猫Drが発見。美味しそうなので食べに行きたいねとなったが、店名がわからない。そこでさりげなくカップルの背後を通り、ジェラートの容器に記されている店名を全員で読み取ろうとしたがあえなく失敗、カップルには明らかに不審がられていた。結局Googleマップでそれらしきお店を見つけたので移動して入店。皆でソフトクリームを食べ、セリグマンの猫は練習の時間が迫っていためライブハウスへ移動。

そこで車Bのメンバーと合流し、HideawayGt/VoとDrと共に近くのレコ屋へ向かった。レコ屋にはすでにデュビアGt/Voがおり、会話もそこそこに皆でレコードをディグった。HideawayGt/Voはディグ中興奮気味に独り言を連発していたが結局何も購入せず退店していた。

その後ライブハウスに戻りHideawayリハ、Gt/Voは初めての大分遠征ということもあり、緊張で呂律が一切回っていなかった。リハを終え、つづけてリハを行うHideawayBass&セリグマンの猫Gt/Vo以外の3人で近くの餃子屋へ。テイクアウトで餃子を5人前ほど注文し出来上がるまでの時間コンビニでお酒を購入。しかしなかなか餃子が焼きあがらず結局30分ほど待たされることに。その間空腹を堪えきれなかったGt/Voはそこそこ往来する人通りの中路上でコンビニのホットスナックを開封しようとし始めた。それをなんとか阻止しているうちに焼き上がった餃子を無事購入、今回宿泊するライブハウス上の宿へ向かった。リビングルームで餃子とお酒で乾杯、リハを終えたセリグマンの猫と合流しイベント開始時刻まで楽しく談笑。わたしは新しく手に入れたジャズマスターに慣れるため談笑中もそのNewギターを爪弾いていたのだが、ほろ酔い一缶で酔っ払ったHIdeawayGt/Voは自分が好きな曲をわたしが弾いていると横で勝手に歌いだし始めるので少々気が散った。

そんなこんなで19時にライブハウスがオープン、19時半にライブがスタートした。1組目から圧巻のライブで、フロアは非常に良い雰囲気に。しかしわたしは楽しさ反面一抹の不安に襲われた。Hideawayの出番は2組目であったため、この最高の雰囲気を次のセリグマンの猫に繋げなければならない。今のHideawayには少々荷が重く感じられたが、やるしかない。気合いを入れ直しセッティングを終え、緊張で顔が白くなっているGt/Voのかき鳴らすギターから1曲目が始まった。1曲目の勢いのまま3曲続けて披露したところでMCで小休止。MCはバンドリーダーであるGt/Voが一手に引き受けているのだが、緊張のためか余り芳しくない内容であった。「大分から来ました」などと訳の分からないことを述べていたが笑いは一切起きず、その言い間違いを特に訂正もしないまま4曲目が始まった。勢いを失ったまま4曲目5曲目とつづけた後再びMCの時間に。今度こそ良いMCをという気概もGt/Voからは特に感じられず、とりあえず3月に予定している我々の自主企画を宣伝していた。その宣伝の中で、自主企画タイトルがこの後やる6曲目の曲名から来ているという事実を初めて明かしていたが、特に観衆からの反響やどよめきなどは一切なく最後の曲が始まり、そしてHideawayのライブは終わった。個人的にも余り良いギターを弾けず、バンドとしても全力を出せなかったように思う。ライブを目撃したセリグマンとデュビアの面々から聞いたところによると、HideawayGt/Voは歌唱中幾度となく白目を剥いていたという。なんとも悔しい結果であった。良い雰囲気で3組目のセリグマンの猫に繋げることが出来なかったため申し訳なさしかなかったが、セリグマンがその重い雰囲気を跳ね飛ばすほどの良いライブをしてくれたため救われた。Baが急遽不在となりWendy York Standのメンバーがサポートとして弾いていたが、そんな不測の事態にもなんのその素晴らしい演奏で大分の方々の心を掴んでいた。

ライブが終わってからの箱打ち上げは非常に良い雰囲気で、対バン・ライブハウスの方々のおかげで楽しい時間を過ごせたのだが、HideawayGt/Voだけは激しく憔悴しきっており、周りの人間に終始気を遣わせていた。自分のライブの出来がよくなかったことと、セリグマンの猫のライブがよすぎたことが原因で体調不良に陥ってしまったらしいと誰かが言っていた。それが本当かはさておき、近年稀に見る態度の悪さであった。わたしもこの時彼に不愉快な言葉を投げかけられ、そのストレスのせいか打ち上げ中に吐き気を伴う激しい頭痛に襲われた。そっと上階の宿に移動し鎮痛剤を服用したことで痛みはやがて和らぎ、再び打ち上げ会場に戻ることができたためほっとした。

日付をまたぎ打ち上げが終わったところで、最後に集合写真を撮ることになった。例の如く不機嫌だったHideawayGt/Voはなぜかその場にいなかったが、気を遣ってくださったライブハウスの方が連れ戻し一緒の写真に収まることができた。しかしその時も一切悪びれる様子もなく不機嫌な様子で終始無言を貫いていた。ライブが始まるまではあんなにも上機嫌だったのに、まさかこんなことになるなんて誰が予想できたであろうか。

そんなこんなで大分の方々に別れを告げ上階の宿へ移動し、入浴など各々の時間を過ごした後、全員でItoというボードゲームをプレイした。今日のためにわざわざ購入し用意してくれたデュビアGt/Voの気概に感嘆しつつ、朝5時頃までそのゲームに興じた。その後皆寝る支度を済ませ続々と寝室に消えていったが、デュビアGt/Voはリビングにて大口を開け、デンタルフロスでせっせと歯間を掃除していた。人前で堂々と歯間を掃除できる人間に憧れこそしないが、好奇の目にさらされながらも歯の健康を1番に考えるその気概にはやはり感嘆した。そしてわたしとセリグマンの猫Dr、デュビアGt/Voの3人だけがリビングに残り談笑、朝6時頃まで様々な話題に花を咲かせた。ひとしきり喋った後流石に猛烈な眠気に襲われそれぞれ寝室へ、わたしは1人だけ廊下の側の部屋をあてがってもらっていたため1人で就寝。しかしなぜか余り寝付けず、寝よう寝ようと頑張っているうちに気づけば起床時間になっていた。10時過ぎにわたしがリビングに出るとすでにHideawayの2人の姿が。もちろんGt/Vo以外の2人である。リビングには彼とセリグマンの猫Drの衣類が散乱していて、意外な共通点が浮かび上がっていた。やがて次々にメンバーたちが起床し、11時前には再び全員がリビングに揃っていた。HideawayGt/Voは相変わらずご機嫌ナナメであったが、学生時代のスポーツテストの話題になると自らのスポーツマンぶりを饒舌に語っていた。しかしセンター試験の点数の話題になると再び口を閉ざしていた。

全員が支度を済ませいざ熊本へ。車割りはわたしと同じく熊本でのライブを控えるデュビアの2人とセリグマンの猫Drが車Aに、車Bにその他の5人となった。車Bは熊本へ帰る前に湯布院で食べ歩きなどの観光を楽しむ予定とのことで、彼らとはライブハウス近くの駐車場で別れることに。昼食は最後に皆で一緒に食べないかというわたしの提案は食べ歩きに全力を注ぎたいとのことですげなく断られてしまった。デュビアの面々やわたしが、熊本でのライブに来てほしい旨を車Bの面々にそれとなく伝えたが全員微妙な顔をしていた。そんな駐車場での別れに寂しさを感じつつも車Aは熊本へ出発。行きと同じく運転役を買ってくれたデュビアGtに感謝しつつ談笑、デュビアGt/Voは会話中に悲鳴を上げるほど楽しんでいた。そして昼過ぎに大分のとある中華そば店に到着、絶品の中華そばをたいらげ満腹になったところで再び熊本へ出発。15時過ぎには無事熊本市内に到着し自宅まで送り届けてもらい、彼らとはしばしのお別れ。

〜2日目熊本編につづく〜

日記140223

先日なんとNintendo online+追加パックにゲームボーイ/ゲームボーイアドバンスが仲間入りした。このふたつのハードは今の20代〜30代前半にとっては思い入れが深いはずだ。わたしももちろん例外ではなく、好きなソフトをあげると枚挙にいとまがない。その中でも特に思い出に残っていた「ゼルダの伝説 ふしぎのぼうし」を早速プレイし、本日見事にクリアした。

この「ふしぎのぼうし」は小学低学年〜中学年くらいのころに誕生日プレゼントとして手に入れた、わたしにとって初めてのゼルダである。毎日学校から帰宅後即GBAを起動させ、ゲームは1日1時間という我が家の法律のもとコツコツとプレイに励み、ついに全クリしたときの達成感はひとしおであった。

そして15年以上たった今、毎日仕事から帰宅後即Switchを起動させ、徹夜でプレイするぞと意気込むも1日に3、4時間程度が体力の限界で、集中力の衰えをひしひしと感じつつ毎日コツコツとプレイした。

ストーリーや攻略法はもうとうの昔に記憶から抜け落ちていたため、再プレイであっても新鮮な気持ちで楽しめた。大人になった今謎解きやアクションが物足りなく感じてしまうかもと危惧していたが杞憂であった。さすがゼルダ、ちょっと頭を捻って考えないと解けない謎解きがいくつもあって、大人でも充分楽しめる適度な難易度だった(むしろ幼い頃攻略本もなしによくクリアできたな、、と思ってしまうくらい)。

 

しかし、いくつか不満な点も。

・相棒であるふしぎのぼうし・エゼロが戦闘の際に全然サポートしてくれない。他作の相棒であるチャットやナビィは戦闘の際に敵の倒し方のヒントになるようなアドバイスをしてくれる。しかし本作では戦闘中にセレクトボタンでエゼロを呼び出しても、基本お前を信じてるぞ頑張れ気をつけて戦え的なことしか言ってくれない。

・ABボタンで使用するアイテムは、スタートボタンを押してアイテムメニュー画面を開いた状態でしか選択できない。その一手間が少々ストレス。

・ラスボス最終形態を倒すギミックがノーヒントすぎる。本体から離れた腕を魔法の杖でひっくり返して、、ってそんなの思いつくはずない。ここの場面で初めて攻略サイトを参照してしまった。

・フィールドやダンジョンで壺を割ったり敵を倒したりしてもなかなかハートが出てこない。

 

とはいえこれらの不満は、ハイラルを救う我々の冒険の前ではどれも些末なものである。ゲームクリア後のエンディングではこれからもつづいていくであろう冒険が示唆され、実際にゼルダシリーズは2023年現在も5月に新作リリースを控えている。冒険は今でもつづいているのだ。我々が求めさえすれば。

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2022年に映画館で観た映画まとめ

ありがたいことにこの度もまた無事に年を越せたので、去った2022年に映画館で観た映画でもまとめようかと思い立ったが、Filmarksの鑑賞記録を参照してみると該当する映画は6本しかないことに気づく。普段ちょっとした映画好きを装っているくせにこれはまずい。まずすぎる。1年もの歳月をかけてたったの6回しか映画館に足を運べなかった自分に心底がっかりしつつ、その少ない数のおかげで観た映画をまとめるのはだいぶ容易いのでよしとすることにした。ジョン・キューザック扮するロブ・ゴードンがレコードを買った順番で並べるように、わたしも観た順番で映画を並べていく。

①ポゼッサー

父親(デヴィット・クローネンバーグ)譲りの暴力描写と特殊効果で鮮烈なビジュアルを生み出すブランドン・クローネンバーグ監督第2作。1作目の『アンチヴァイラル』が最高だったので2作目の公開がずっと待ち遠しかった。そして本作はその期待を遥かに超えるSFバイオレンス哲学ホラー映画だった。主人公は暗殺者、他人の脳内に侵入し人格を乗っ取り、その身体を使ってターゲットを殺す。任務が終了した後は自らの手で宿主の命を終わらせ、その意識から脱出する。なぜそのような周りくどい方法を取るのかというと、ターゲットに近しい人物へと成り代わることで、自然かつスマートに殺しを実行できるのだ。しかし主人公はその“仕事”のため他者の意識に入り込み続けるうちに、段々と自分が何者であるのかわからなくなっていく。

個人的にはコリンという男を拉致して意識をジャックするシーンがとにかく最高だった。クリス・カニンガムを彷彿とさせる、見ててひたすら具合の悪くなる悪夢みたいなビジュアル。『アンチヴァイラル』以上にそういったショッキングなビジュアルが多くてとてもよかった。ストーリーは哲学的な示唆に富んでいたが1回の鑑賞では深いところまで理解が及ばなかったように思う。またぜひ観たい。

 

ダイナソーJr./フリークシーン

みんな大好きダイナソーJr.ドキュメンタリー映画。まずは大音量で彼らの音楽が聴ける気持ちよさ。そして内容としてはとにかくバンドが喧嘩ばっかりしていた。さすがに仲悪すぎるだろと思った。しかしルー・バーロウ(多分)が言ってた「バンドをやってて楽しいと思ったことなんて一度もない。楽しいからやるんじゃない。やりたいからやるだけだ」みたいなニュアンスの言葉に思わず拳を突き上げそうになった。そうだよ、そうなんだよ、、やりたいからやるだけなんだよ。

それとJが言ってた「俺はドラムを叩くようにギターを弾きたいんだ」っていう言葉にも非常に感銘を受けて、今でもスタジオやライブでギターを弾くときにこの言葉を思い出してる。ドラムを叩くようにギターを弾けば、めちゃくちゃデカい音が出せるに違いない。

 

リコリス・ピザ

ポール・トーマス・アンダーソン監督作。劇伴はジョニー・グリーンウッドリコリス・ピザというのはアナログレコードの意味らしい。1973年、ハリウッド近郊の町を舞台に、男子高校生ゲイリーとその10歳年上の女性アラナとの出会いから始まる、めまぐるしい恋愛模様を描く。アラナやその姉たちを演じるのは姉妹ロックバンド・HAIMのメンバーで、今回がはじめての映画デビューらしい。ゲイリーに実在のモデルとなる人物がいたり、1973年当時の映画や俳優をモチーフにしたシーンが度々出てきたりと、元ネタを知ることでよりいっそう楽しめる映画に違いないが、わたしのようにそれらの知識に乏しくとも十二分に楽しめた。将来への希望と自信に満ちた主人公が、自分探しにつまずき大人になりきれないヒロインと出会い、こち亀ばりのドタバタ劇やすったもんだを通し、長い夜をこえて共に走り出していく。1973年のアメリカなんて経験したこともないのに、気づけば感じたことのない懐かしさで胸がいっぱいになっていた。見終えたあとはピンボールがしたくなること間違いなし。

 

ブエノスアイレス(4Kレストア版)

英題は『Happy together』らしいが、それってなんの冗談だよと思ってしまうくらい、トニー・レオンレスリー・チャンが終始お互いを傷つけあう映画。惹かれあっているはずのふたりが劇中では激しくぶつかりあいすれ違い続け、胸が苦しくなる場面ばかりだった。しかしアパートの台所でタンゴを踊るシーンや、イグアスの滝をバックに“Coucouroucoucou Paloma”が流れるオープニングシーンはため息が出る美しさだった。それ以外にもさすがウォン・カーウァイ×クリストファー・ドイルという他ない映像美で全シーン超スタイリッシュ。正直多少話の筋が追えなくてもその押し寄せる映像美だけで90分観れてしまう映画。

同じく男性同士の恋愛を描いた映画だと『ムーンライト』も素晴らしいが、その作中でバリー・ジェンキンス監督は本作へのオマージュを捧げている。30代になった主人公がかつての想い人と再会するために車で旅立つシーンで流れるのが、“Coucouroucoucou Paloma”だ。

 

恋する惑星(4Kレストア版)

これまたウォン・カーウァイ監督作。一度視聴済みだったが改めてスクリーンで観たかった。

2部構成になっており1部は金城武演じる刑事が主人公。2部はフェイ・ウォン演じる惣菜屋の店員が主人公。ウォン・カーウァイらしいスタイリッシュな青春恋愛映画で、1部2部どちらにもメインの役どころに刑事が出てくるのが特徴。そこで描かれる物語はどこか奇妙でずれた恋愛ばかり。1部では主人公が恋人にふられ傷心のあまり、自らの誕生日である5/1が賞味期限のパイナップルの缶詰を誕生日当日まで1ヶ月買い続ける。パイナップルは元恋人の大好物であったが、主人公はとっくに期限切れの恋に気付けないでいる。2部では主人公が好きな人の部屋に無断で侵入して勝手に模様替えしたり(もはやただのストーカーである)、その彼に惹かれながらも遠くの国に旅立つことを夢見たりする。共感性はそこまでない恋愛模様が終始描かれるが、「1万年愛す」や「57時間後僕は彼女に恋をした」など、むず痒くなるほどポップで印象的なキーワードが映画の求心力に一役買っていた。公開当時の香港の社会情勢も併せて観てみると、また違う見え方が浮かび上がってくるのかもしれないとも思った。そして今やあまりに有名すぎるカバーソング、フェイ・ウォンの“夢中人“や、ママス&パパス”夢のカリフォルニア“など、音楽面においても素晴らしい映画だった。

実は個人的には本作より『天使の涙』のほうが好きなのだが、上映スケジュールと予定が合わず観れなかったことが心残りである。

 

素晴らしき日々も狼狽える

鹿児島のWALK INN FES!をその始まりから現在まで追ったドキュメンタリー映画。いわゆる普通のドキュメンタリータッチではなく、メインの語りにフィクションを絡めた作風。最初はなぜそういった語りが必要なのか些か疑問に思ったが、ラストまで観ると納得。フェスを追った作品だからといって「音楽」だけではなく、「街」も重要なテーマのひとつとして描かれている。「街」は我々の誰もが関わっている/いくものなので、バンドをはじめとした音楽にさほど興味関心がない人でも楽しめるような映画だと思った。

個人的に知っているバンドや人が出てきて嬉しくなったりしたが、それ以上に知らないバンドや人の方がもちろん多く、鹿児島ではこういう人々の行動の連続が「街」をつくりあげているんだと大変勉強になった。いや鹿児島だけではないんだろう、わたしの住んでいる街だって同じようなものなのかもしれない。その連続の中にわたしはいるんだろうかと不安になるけど、とりあえず無事に年は越せたので、2023年はとにかく行動していくしかない。もっと映画館に足を運びたい。もっといろんな場所を訪れたい。もっといろんな人に出会いたい。けど忘れたくないのは、今いる場所やそこにいる人たちを大事にしたい。あと痩せたい。

Space Cadet

「インターネットの思い出」は人によって様々だろう。世代によっても全く違うはずだ。1998年生まれのわたしにとってはそれがおもしろフラッシュ倉庫であり、Yahoo!きっずであり、当時群雄割拠のブラウザゲームであったりする。

小学校2年生くらいまでは実家の居間にwindows XPが鎮座していた。しかし母曰くウイルスにかかっていてインターネットに繋げないとのことで、わたしにとっては専らゲーム専用機であった。妙にスペーシーなピンボールマインスイーパを延々とプレイしていた気がする。

小学校3年生のころにwindows vistaが我が家にやってきた。今思えばきっとそこから人生が狂い出したに違いない。テレビか漫画しかなかった我が家の娯楽にインターネットが仲間入りした瞬間。外で身体を動かして遊ぶのが大好きだった活発少女は、お金がなくて買えないゲームソフトのHPを片っぱしから閲覧して、ストーリーを妄想しゲームをプレイした気になるオタク少女になっていった。

小学校4年生のころにクラスメイトのヤンキー少女から「2ちゃんねるって知ってる?」と聞かれ、何も知らないわたしは彼女に説明を求めると、とにかくやばいサイトであるとのこと。どうやばいのか見当もつかなかったが、名前の響きからしてテレビに関するサイトであるというわたしの予想はすぐに裏切られた。時を同じくしてクラスメイトのオタク男子から「ようつべって知ってる?」と聞かれ、やはり何も知らないわたしは彼に説明を求めると、とにかくやばいサイトであるとのこと。ドキドキしながら検索窓にひらがなを入力すると、検索結果に表示されたサイト名は英語で非常に面食らった。当時沖縄では数週間遅れもしくは放映されていないアニメも多く、無法地帯であったYouTubeは我々にとってキッズステーション顔負けのアニメチャンネルであった。

ヤンキーもオタクもそうでない子も、小学校のパソコンの授業では全員で一致団結し情報交換にいそしんだ。そういう授業では大抵フリータイム的に生徒が自由にパソコンを使って良い時間が設けられていたので、思い思いのネットサーフィンをクラスメイトに披露する時間でもあった。わたしは「マテリアルスナイパー」という謎に完成度の高すぎるFlashゲームを颯爽とプレイしてみせ、級友たちの度肝を抜いた。友人のひとりは「ダンシングおにぎり」という音楽ゲームを教えてくれた。ある者は恐怖の館でクラスメイトをウォーリーの罠に嵌め、ある者はおもしろフラッシュ倉庫で椅子から落ちるほど笑い転げていた。先生がパソコンにかけたセキュリティでブロックされるサイトも多々あったがその基準は謎で、「ぱんぞう屋」はブロックされるのに、「スーパー正男」というスーパーマリオブラザーズのパクリブラウザゲームはプレイできた。

そんなこんなで、小学生らしい無邪気さでもってインターネットライフを満喫していた、、、のであったが。

ある日事件は起こった。

小学校5年生のころ、いつもと変わらぬ日々に鬱屈した気持ちを抱えるなんてこともなく、明日は何して遊ぼうだとか、次給食がカレーの日はいつだろうとかで、頭も心も満たされていたころ。いつもの平日、夕飯を食べ終え居間にあるvistaを起動させたわたしは、今日はどのようにこの眼前の箱でインターネットをサーフするか頭を悩ませていた。

YouTubeブラウザゲームもなんだか今日は気分じゃない。いつもならお気に入りのサイトにすぐさま飛んでいたところを、なんとなく、履歴のページをクリックし飛んでみた。もちろん家族共用のパソコンである。当時の純真無垢なわたしにはそれがパンドラの箱であることは知るよしもなかった。検索履歴のページをスクロールしていくと、お気に入りサイトのURLに紛れて、ある見覚えのない検索ワードを見つけた。

「貧乳 女子高生」

「貧乳 制服」

せめて「巨乳」であってほしかった。「貧乳」という検索ワードに凝り固まった性癖を感じ嫌悪感を覚えた。家庭内に「性癖」という概念が突然入り込んできた感覚は今も忘れられない。しかもそいつは居間にパソコンの姿を借りて堂々と居座っていたのだ。

かくしてわたしの純粋無垢な心は家庭内の何者かの手によって汚されたのであった。

インターネットの思い出。何者かっていうかたぶん犯人は兄。