永遠プレッシャー

ほっかほっか弁当にて、レジカウンターでメニュー表を眺め注文するとき、わたしはいつも緊張で手に変な汗をかいてしまう。店員からのプレッシャーが尋常ではないからだ。

こちらとしてはまだ数分かけてじっくりと選びたいところが、カウンター越しにすぐスタンバイする店員。そのプレッシャーに負けて結局いつもと何ら代わり映えのないメニューを選択してしまうわたし。Choose lifeとはこのことかと思いながら代金を支払い、弁当を受け取る。

某月某日もそんなふうにいつもと変わらぬ調子で、結局お決まりの「とりマヨそぼろ弁当」を選択しようとした。しかし、数秒経って異変に気づく。メニュー表のどこにも見当たらないのだ、その9文字が。そんな動揺もよそに店員からは選択を迫る無言の圧力。早く決めなければ。「とりマヨそぼろ弁当、、、ってありますよね?」恐る恐る尋ねる。しかし店員から返ってきた答えは、「すみません、そのお弁当もう終わっちゃったんですよ〜」だった。

驚愕。いつ、なぜとりマヨそぼろ弁当がなくなってしまったのか、質問したいことは山ほどあったが、耐え難いプレッシャーに怯んだわたしは「しゃ、、鮭弁当で!」と、未知の選択に及んだ。

代金を支払い、ややあって弁当を受け取る。自宅に戻り、居間で鮭の身をほぐしながらわたしは、今はもうこの世に存在しないとりマヨそぼろ弁当に想いを馳せた。

最後に食べたのはいつだったか、、、数週間前だった気がする、しかしはっきりとは思い出せない。ちゃんと味わって食べたっけ?普通に美味しく、いつも通り残さずいただいたのだろう。けれどまさかこれが最後になるなんて思ってもいなかったはずだ。とりマヨそぼろ弁当との最後の邂逅はわたしの記憶からすっぽりと抜け落ちていて、それがただただ悲しかった。

人生における別離の中で、わたしはあと何度お別れの言葉を言いそびれるんだろう。きちんとお別れできる最後なんて、きっとほとんどないに違いない。最後の時はいつも静かで、およそドラマなんてものは起こらないまま終わっていく。そうやって気づかないまま過ぎていくなら、せめて今だけはと、少しぱさついた鮭の身をていねいに、ていねいにほぐした。